海士町視察からみえる、行政と住民との関係と、戦略的行政経営。

2013-04-22 11:17:21 | カテゴリ:活動報告


4月16日から18日まで、島根県海士町に視察に行ってきました。飛行機と船を乗り継いでの長距離移動。飛行機のタイミングと、船のタイミングが合わないので、片道7時間を要する移動となりました。

海士町の取組みを知ったのは、コミュニティデザイナーの山崎亮さんや、デザイナー梅原真さんの著作から。特に関心があったのは、第4次海士町総合振興計画「島の幸福論」の策定プロセス。住民参加により、10年計画である総合計画を策定するという方法に、住民自治やソーシャルキャピタルに関心のある私としては、非常にワクワクしたのでした。(ちなみに昨年訪問した延岡市の取組みも、山崎亮さん、Studio-Lの取組みです。)

今回の視察では、山内道雄町長との面談の機会を頂きました。一番聞きたかったのは、なぜ総合計画を住民参加で作ったのか。なぜ実現できたのか、です。

「手作り」の総合振興計画を作りたかった

山内町長は2002年に町長に当選し、現在3期目。第4次総合振興計画は2期目の途中で策定されています。それまでの10年計画、2008年までの第3次総合振興計画は、コンサル会社と協力して作られたもの。内容はしっかりしているが、「海士町」という言葉を他の市町村に置き換えても成立するような内容だった。100%は満たせなくても、海士町に生まれて良かった、海士町に住んで良かったと思ってもらえるようにする為には、「手作り」の総合計画が必要だと判断したということです。

海士町は人口約2400人とピーク時の3分の1に減少。高齢化率も40%と、このままいくと島が消えるかもしれない、という危機感が背景にあります。平成の大合併が進む当時、島嶼間での合併も選択肢にあったものの、文化が異なる3島が合併してもメリットが無いと判断し、単独での町政を選択します。その結果2004年からの地方交付材の削減により財政が逼迫し、当時のシュミレーションでは2008年に「財政再建団体」に陥ることが予想されました。その結果、町民、議会、行政とが協力をし2004年3月に「海士町自立促進プラン」を策定することとなります。この2004年から様々な改革・取組みがスタートしています。「守り」としての行財政改革。「攻め」としての産業創出。産業創出によるU・Iターンの受け入れにも強化により、2012年度末時点で、246世帯361人のIターン者が定住したといいます(定着率約56%)。

住民との信頼関係を形成した改革断行

2004年からの改革の1つである、徹底した行財政改革。「自ら身を削らない改革は支持されない」という信念のもと、町長から率先して給与削減に取りかかりました。その結果、助役、教育長、議会、管理職、職員組合からも、給与の自主減額の申し出があり、2004年度から給与削減が実施されたということです。ここで重要なのは、町長が率先したことと、その他の公務員・議員も呼応して自ら削減を申し出た点です。町長の給与は50%削減。職員も平均で22%削減。その結果2005年度には人件費の削減効果が、約2億円にのぼったということです。

この身を削る改革によって町民の意識が変わったといいます。老人会からはバス料金の値上げや補助金の返上があり、各種委員からは日当の減額申し出があったといいます。そして住民からは、自分たちにできることはないか、という提案が挙って来たといいます。

醸成された主体的な参加意識

私の疑問であった、第4次総合計画策定をなぜ住民参加で実現できたのか、の答えはここにあると考えます。コミュニティデザイナーが参画をし、コーディネートをしたことも、もちろん大きく寄与していたと思います。しかしそれ以上に、住民が行政任せにせず、主体的に考え、自分たちで何かしようと行動できる環境があったこと、これが大きいのではないかと思います。第4次海士町総合振興計画「島の幸福論」の策定がスタートしたのは2008年4月から。自立促進プランから4年が経過しての事です。

この「島の幸福論」は、グッドデザイン賞を受賞しています。この受賞は「島の幸福論」の別冊として作成された「海士町をつくる24の提案」が高く評価されたといいます。その24の提案では、「1人でできること」、「10人でできること」、「100人でできること」、「1000人でできること」という項目が設けられ、住民自ら何をできるかを分かりやすく示しています。

高校の“魅力化”

「島の幸福論」の基本計画第1章は、教育から始まります。海士町がどれだけ教育を重視しているかが分かります。

 隠岐島島前3町村で唯一の高校「島前高校」が海士町にあります。平成9年には77人居た入学者が、平成20年には28人へと激減し、島根県が定める統廃合ライン21名が目前に迫っていました。仮に島内から高校が無くなれば、15歳で中学校を卒業した子ども達は、本土の高校に通う為移住しなくてはいけなくなります。その場合、仕送りなどにより家庭の負担は、3年間で450万円となり、経済的問題から家族丸ごと本土に移住するケースもあるというのです。そうすると、人口流出が止まらなくなり、自立への取組みが水泡に帰すという危機感がありました。

 この危機感から、「島前高校魅力化プロジェクト」がスタートします。課題はの1つは、入学者数を増やすこと。その為にどうすれば良いのか検討が行われた結果、「「存続」を目指すと存続できない。生徒が「行きたい」、保護者が「行かせたい」、地域も「活かしたい」と思う、魅力づくりを目指す」という方向性が定められます。平成20年3月には「隠岐島前高校の魅力化と永遠の発展の会」が発足し、町村長、議長、教育長、総務課長、中学校長、高校長、PTA会長、OB/OG会長などのメンバーにより、(1)島前3町村からの入学率増、(2)島前地域外からの入学数増、という指標が定められ魅力化構想が策定されます。

ピンチをチャンスに、視点を変える

 学校の魅力化の過程において、学校のミッションの再定義や課題の整理が行われていきます。

 「人口/若者の流出、後継者不足、産業衰退、公共依存」という地域の課題から、今後の向かう方向性として「若者定住促進、後継者育成、雇用産業創出、自立共助」が描かれます。そのために求められている人材として「地域で生業・事業・産業を創り出せる人財(地域起業家的人材)」が描かれ、「仕事がないから帰れない」という現状から「仕事をつくりに帰りたい」という方向への転換がスタートします。

 そのために「島全体を学校」と見立て、地域の住民みんなが「先生」であり、その中から「つながり」を学び、地域の繋ぎ手を育成する取組みが行われます。人づくりとしての学習(知識・技能取得)と地域づくりとしての行動(課題解決・実践)を掛け合わせた「学ぶだけでなく実践する」取組みです。たとえば文化の継承として、地域の伝統料理を学びつつ、新たなレシピを開発したり、内航船とバスのダイヤ改善を行った地域を活かす「地域学」を行ったり。その取組みの延長として「観光甲子園」では、地域を元気にする新たな観光プランの企画として、「ヒトツナギ」という企画がグランプリ(文部科学大臣賞)を受賞します。この企画では海士町の最大の魅力を「人」と定義し、「自然体験」ならぬ「人間体験」を提供し、人とのつながりをお土産にもって帰ってもらう、という内容になっています。

 海士町の人財育成の方向性としてもう1つ、「グローカル人財」の育成が示されていました。地域の価値を海外にも売ることができ、海外から人が来た時にちゃんと魅力を伝えられる人財。しかしながら、僻地校ならではの課題もありました。集団の均質化・価値観の同質化、関係背の序列化・固定化、という課題です。限られた人間関係しかないため、新しい人間関係も作れない、多様な価値観と出会えない、刺激や競争がない、という課題です。その結果、コミュニケーション能力不足、価値観や視野の固定化、意欲・動機付けの不足、という問題が高校生達に横たわっていました。

 この課題を解決するためにスタートしたのが、「島留学」です。

外からの刺激を入れる、島留学

 「島留学」は読んで字のごとく、隠岐島の海士町に留学してもらう制度。全国から意欲ある生徒を募集し、寮費食費の補助などが行われる制度。平成24年度には島外から23名が入学、平成25年度には島外から22名が入学しているといいます。

 とはいえ、放っておいてもわざわざ全国から生徒が来る訳ありません。もちろん背景には、島前高校の魅力化があるわけです。島留学の売りは、実は課題の裏返し。「少人数教育」は、統廃合目前の「超小規模」の裏返し。島全体を学び場に見立てている「地域の教育力」も、先生も少なくなってしまった「弱い学校力」の裏返し。そして超不便で、不自由な島の生活環境は、「厳しい環境で、協働力、忍耐力、人間力を養う」という売りに変えていく。無い物ねだりではなく、あるものを探し見つけだしていく視点の変更が行われているのです。こうして島外の生徒が集まることで、外部からの視点も得ることができ、上述の「観光甲子園」での成果にもつながる、新たな価値の発見が行われています。

 一方、新しい取組みも創出しています。学校連携型の公営塾「隠岐國学習センター」です。公営ならではの取組みとして、県立島前高校と連携をしながら、経済格差や地域格差に影響された教育格差の是正を狙い、1人1人に合った学習プログラムが提供されています。その取組みの中でも特徴的なのが、「夢ゼミ」です。学習センターでは高校の授業に関係する学力の向上だけでなく、社会に出て必要な力を身につけるために「夢ゼミ」が行われています。今回の視察では、この「夢ゼミ」の現場も拝見できました。

三方良しの意識を育てる、夢ゼミ

 「夢ゼミ」では、社会に出るときに必要な力、学校で勉強するために必要な力、意欲的に勉強するために必要なこと、を身につける事を目的に、「目的意識・学習意欲」、「コミュニケーション能力」の育成が行われます。メインの夢ゼミは高校3年生が対象で、自分のやりたいことを明確にし、その為に何が必要かを社会課題と照らし合わせながら、「三方良し」になるよう育てていくといいます。私たちが伺ったのは、高校2年生向けの夢ゼミ。今年度第1回目。

 この回の夢ゼミのテーマは、「高校の校歌はなくすべきか、維持すべきか」。まずは自分で考えをまとめる。その後3名程度のグループに分かれて、それぞれの意見を発表しあう。途中でグループ替えも行い、更に議論を深めていき、最後には各グループの代表者が是非について意見を発表する。という方法がとられていました。このワークショップともいうべき取組みは、東京から通っている、大学受験に精通した講師の方がファシリテーションを行っています。そのためレベルが高い。企業でも行ってる人材研修方法を、ゼミ形式に編集しているといいます。

 夢ゼミでは地域の課題を、社会・国の課題の縮図として捉えています。今回の夢ゼミでは、発表が終わったとに振り返りが行われ、「相手に分かりやすく伝えるにはどうすればいいのか」という方法についての説明が、議論での出来事を例にとりながら解説されます。そしてその後に出てくるのが、「校歌のことを地域に置き換えてみよう」という言葉。「地域は活性化しなくてはいけないのか?」という問いです。

 上記の流れを経て、夢ゼミが最後にたどり着くのは「限界集落」のテーマ。まさに海士町の将来かもしれないテーマ。集落を、町を維持していくのか、それとも集団移転をした方が良いのか。その文脈から紡ぎだされていくのが「民族知」。地域が失われてしまえば、その地域のあった「民族知」が失われるかもしれない。その「民族知」は、「森は海の恋人」や「漁師は山みてするもんだ」という例を挙げられながら、環境問題や少子高齢化、エネルギー問題などを抱える現代において「もしかしたら現代の課題の解決方法は、おじいさん・おばあさんの知恵や、伝統文化に隠されているかもしれない」という結論を描き出していきます。「高校の校歌」は伝統を暗示する言葉であり、「校歌の維持」は「伝統文化」とどう向き合うかを置き換えていた訳です。

 身近なテーマを扱いつつも、最終的には社会問題と向き合わせていく。そこには、繰り返し問われる「なぜ」。これまで取組まれた高校3年生の夢ゼミでは、年度当初生徒達は利己的な目標を掲げていても、年度末には「社会のためになること」を考え、描くようになるといいます。そして夢ゼミで育った生徒は、意識が高い。進学が決まっても夢ゼミに通う生徒もいるし、大学進学後も社会の為に一生懸命勉強をする。学習センター、夢ゼミを通じて、目標設定が「大学入学」ではなく、「社会課題の解決」に据えられるということなのだと思います。

地産地“商”

 海士町が生き残りをかけて「攻め」の姿勢で取組んでいるのが、産業創出。教育に力を入れるのも、産業創出のためでもあります。地域資源を活かし、島に産業を創り、島に雇用の場を増やし、外貨を獲得する。そのために、攻めの実行部隊である産業3課、交流促進課(定住・移住促進)、地産地商課(本土外貨獲得)、産業創出課(新産業、雇用創出)が設置されます。そして町役場ではなく、港にある「キンニャモニャセンター」に、この3課が配置されます。港は人の出入りが豊富であり、ビジネスチャンスは現場である港にあるという考えから、アンテナショップもあり、情報発信も行われている「キンニャモニャセンター」に配置されたといいます。

 地域再生戦略として、島全体をブランド化し、「海」、「潮風」、「塩」をキーワードに、第1次産業を再生・振興する策が取られていきます。「海」カテゴリー第1弾が「島じゃ常識!さざえカレー」の販売。キーパーソンは、商品開発研修生です。商品開発研修生は平成10年から海士町が募集している制度で、「よそ者」の発想と視点で商品開発を行う仕組みです。肉が中々入手できない島では、さざえが代替品としてカレーに入れられていました。そんな島の食文化は、島の人間では常識過ぎて気づけないものの、「よそ者」から見れば新鮮であり、そのまま「島じゃ常識」というネーミングのもと販売され、ヒット商品となったといいます。

 第2弾は「隠岐海士のいわがき・春香」。首都圏で大ヒットしたこの岩牡蠣は、現在27万個養殖され、県のブランド5品目に認定されています。第3弾はCASという新技術を利用した、白いかのブランド化。「潮風」カテゴリーでは、隠岐牛がブランド化され、A5ランクの格付けがされるほどに。現在月12頭の出荷だが、今後24頭出荷できるよう設備投資も行われていました。また「ふくぎ茶」という島独自のお茶は、障害者の作業所「さくらの家」で加工・販売が行われ、平成24年の売上が450万円。賃金は150円から450円にアップさせることができたといいます。「塩」カテゴリーはまさに塩で「海士乃塩」という商品が開発され、集落やグループが「海士乃塩」を使った産品づくりを行っています。そしてIターンの若者達が起業した例として、「干ナマコ」が紹介されました。

 こうした産業創出の取組みを通じて、上述のU・Iターンの受け入れ実績が生まれることになります。

 (海士町の料理や食材は、浅草の「離島キッチン」でも楽しむことができます。)

ないものはない

 海士町の玄関口、「キンニャモニャセンター」に入ると「ないものはない」と書かれたポスターがあちらこちらに貼ってあります。このコピーを作成し、デザインを行ったのは、デザイナーの梅原真さん。この言葉は二重の意味があり、(1)ないものはない、無くてもよい、(2)ないものはない、大事なことは全てここにある、という意味が込められています。海士町のホームページには、「地域の人どうしの繋がりを大切に、無駄なものを求めず、シンプルでも満ち足りた暮らしを営むことが真の幸せではないか?」という問いが立てられ、「素直に『ないものはない』と言えてしまう幸せが、海士町にはあります。」と結ばれています。海士町にはこうした価値観の転換を、社会の転換を、先陣を切って取り入れ実践する気概がありました。

 高度成長社会から、持続可能社会へ。高度成長社会では最後尾を走る船だった海士町を、持続可能社会のタグボートとして日本を牽引する海士町へ。ないものはない。島の限界と可能性を把握し、戦略的な施策を実施している海士町。学ぶことが沢山ありますね。

2泊3日の視察を通して

 今回の視察では、沢山の魅力ある方に出会い、魅力ある方の事例が紹介されました。山内道雄町長はじめ、高校魅力化プロデューサーの岩本悠さん(ソニー出身)、隠岐國学習センター長の豊田庄吾さん(リクルート出身)、夢ゼミ講師藤岡慎二さん(教育・人事コンサルタント)といった、一流の方々が、高校生の教育の現場に立っていらっしゃいました。教育に重点的に取組む海士町では、一流の人材が現場を支え、子ども達を育んでいるのです。視察を通じて、町長、意識を高く持った職員の方、そして民間出身で海士町生き残りの為に集められた皆さん、宿やお店の方など、沢山の人と出会うことができました。

 そして何より感激したのは、町ですれ違う方々が、皆さん挨拶してくださることです。車を運転している方は車中から会釈。通学・下校中の子ども達も大きな声で、挨拶をしてくれます。私たちも、まさに「人間体験」をさせて頂きました。

Comments 2

  1. 辻野長 より:

    詳細なご報告ありがとう。
    「三方良し」も有りますが、大岡裁きの「三方一両損」も逆説的ながら
    一つの観点だと思います。

    これだけの報告頂ければ、よく言われる国会議員等々の「遊び視察」に「喝」
    を入れられますね。
    国内、海外シンガポールなどなど、変貌する地域社会を続けてご報告下さい。

    • 藤崎浩太郎 より:

      >辻野さん
      ありがとうございます。
      読んだ方にとってもプラスになるような分かりやすい報告を、今後も心がけてまいります。

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