1年後の熊本地震。仮設住宅とコミュニティと経済的自立。

2017-05-05 18:33:34 | カテゴリ:活動報告


阿蘇大橋

5月2日、1年ぶりに熊本を訪れました。1年前には避難所を訪問したり、ボランティアを行ったりしましたが、今回は1年前のご縁から、益城町や西原村、南阿蘇村の現状について、現場を拝見し、関わっている方々からお話を伺いました。

(※参考:1年前の訪問記「熊本市の避難所と、ボランティアセンター。」)

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<目次>

1 仮設住宅の現状と課題、経済的自立
 課題1:仮設住宅におけるコミュニテイ
 課題2:支援の差
 課題3:解体撤去と、経済的自立

2 避難所とコミュニティ
 (1)集落単位でスペースを仕切った、避難所運営
 (2)支援物資の配布

3 企業の挑戦
 (1)地獄温泉 清風荘
 (2)シングルマザー支援

4 まとめ
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くまもと友救の会
くまもと友救の会の方からお話を伺う様子

1 仮設住宅の現状と課題、経済的自立

課題1:仮設住宅におけるコミュニテイ

益城町では、仮設住宅で支援活動を行う「くまもと友救の会」。代表の松岡さんにお話を伺いました。益城町には18ヶ所の仮設住宅があります。その中には、2つの大規模仮設住宅団地と、16の小規模仮設住宅団地という、2種類の規模があります。大規模仮設住宅団地は約500戸と、約200戸の2ヶ所。小規模は、6戸〜82戸という規模になっています(2017年5月2日現在)。その他に、「みなし仮設」という民間の賃貸住宅に入居している方もいらっしゃいます。

仮設住宅の入居募集は、2016年5月〜6月に第1次募集、同6月〜7月に第2次募集と、段階的に募集が行われ、抽選結果に基づき入居が行われていきました。第1次の頃は、自宅の全壊などで家に帰れなかった人、避難所で生活していた人が申し込み、第2次の頃には半壊や、離れた親戚の家に一時的に避難していた人が申し込むという傾向があったそうです(ルールとして決まっているわけではない)。第1次の頃は、ある程度同じ地域の方々を、1つの仮設住宅団地にまとめることができていたそうですが、2次以降となると、入居者の状況が異なり、元々住んでいた地域などでまとめての入居が難しくなったそうです。結果として、仮設住宅団地のコミュニテイに影響が出ていきます。

元々の地域のつながりが継続された団地においては、人間関係が築きやすく、コミュニテイが形成され、団地自治会などもスムーズに形成されたと言います。一方では、地域の繋がりが薄い団地では、自治会長のなり手もなかなか居なかったり、自治会のまとまりが無かったりと、コミュニティ形成に課題が生じたと言います。

課題2:支援の差

大規模と小規模では、支援にも差が生じていると言います。大規模団地は生活している人が多く、様々な取り組みを行いやすく、メディアが入ることも多いようで、物資や情報も集まりやすく、運営についても上手に回っているといいます。益城町社会福祉協議会では、「益城町地域支え合いセンター」を設置していて、「被災された方々の安心した日常生活を支えるために、NPOと協働で巡回訪問による見守り・相談・生活支援・地域交流の促進・介護予防などの総合的な支援体制に取り組んでいます」(益城町地域支え合いセンターWebサイトより)。このセンターは、2ヶ所の大規模団地にはそれぞれに委託を受けた団体(キャンナス熊本、熊本YMCA)が常駐しています。大規模においては、センターや自治会が協力して、生活者の支援を行える体制が築かれています。一方で、小規模は露出も少なく、認知が低く、支援の手が入りにくい状況にあるといいます。センターも常駐体制には無いため、友救の会のような支援団体が、各小規模団地を支援しています。

仮設住宅団地の自治会の連合会も設けられています。各団地が単独で動くのではなく、全体で協力し、意見を集約して、行政に伝えようという趣旨で設けられています。しかしながら、運営に課題があるようで、小規模の自治会長があまり出席しなかったり、小規模の意見が集約されづらいといた課題も生じているそうです。そもそも自治会が十分に機能していない所があるものの、その自治会を支援している団体は連合会の会議には出られないという課題もありました(参加者が自治会に限られるため)。

また、みなし仮設はそもそも集合して居住していないため、一層支援が届きづらい状況にあるといいます。「よか隊ネット」という民間支援組織が、益城町社会福祉協議会の委託を受けてみなし仮設住宅の居住者への支援を行っていますが、全てのみなし仮設を回るには、1年を要するような規模にあるため、仮設団地、とくに大規模のような支援をみなし仮設に行なうのは、困難な状況にあるといいます。

行政や社協、仮設団地の支援団体等が参加して、「益城がんばるもん会議」という各団体の連携、情報共有を行なう会議も設けられています。震災直後の発足時には、週2回ペースで開催されていたものが、現在では月に2回程度まで減少しています。そのため、継続している支援活動について、支援団体間での活発な協力関係が作りづらくなっているといいます。頻繁に情報共有ができていれば、各団体のノウハウやリソースの共有、お互いができないことの支え合いなどが可能だったものの、現在の開催頻度だと、情報共有すら十分にできないという課題もありました。この課題に対しては、支援団体が入居・利用可能な、共同オフィスがあれば、常にそこに集まれて、時間や場所を決めてわざわざ集まる必要が無くなり、情報共有が随時可能になり、支援団体相互での支援も可能になるのではないかと、考えられていました。

課題3:解体撤去と、経済的自立

1年前に訪問した際にも、既に「経済面での自立がなければ復興はない」と考えて、活動をされている方々がいらっしゃいました。現在の益城町でも、この経済的自立が課題となっていました。被災した家屋の解体撤去が続いている段階にありますが、解体事業を受託する企業の多くが県外の企業。そして実際に作業を行なうのは、2次、3次の下請け業者となっているそうです。更に、解体現場に実際に来るのは職人さん1人だったりして、その作業を手伝うために、地元の人が雇用されたりしている実態があるといいます。そうなると、地元で雇われている人達の賃金は、どうしても低くなってしまいます。全体で見れば、復興にかかる費用が地元経済に落ちず、県外に流出してしまっているという状況にありました。

こうした課題に対して友救の会の松岡さんは、株式会社UQテックを起業します。初めは2016年7月の公費解体開始時に、個人事業として解体工事の請負を開始します。その後10月に、株式会社として設立しています。松岡さんは、元々は兵庫県出身。阪神淡路大震災の被災者でもあります。熊本に来る前、建設関係の仕事をされていて、震災の数ヶ月前に熊本に移りする前は、愛媛県で仕事をされていらっしゃいました。熊本に来てからは、建設関係のコンサルタントとしてビジネスを行っていたという経歴の方。こうした経歴を活かして、UQテックの設立となります。現在UQテックでは15名の地元の方を雇用し、解体工事の請負を行っています。地域の他の企業からは、「人手不足の中どうしてそんなに雇えるんだ」という声もあるそうですが、一般的に見て高い賃金を支払っていると言います。同様に「賃金が高すぎる」という指摘もあるそうですが、松岡さん自身はこれまで役員報酬を一度も受け取らず、また従業員の方には賃金の未払いもなく、ここまで続けていらっしゃいます。ゆくゆくはUQテックを、地元の方に譲って、地元の方の手で経営できるようにさせたちいという、ビジョンをお持ちでした。

自立という面では、個人個人の気持ちを、支援を受けることの慣れから、どうやって前向きに、「受けた支援をどうやってこれからに活かしていこうか」という気持ちに転換できるかどうかも、重要だという指摘が、今回のお会いした方々から何度もありました。友救の会が運営している支援物資の提供拠点があります。国際連合世界食糧計画(WFP)から提供されているテント内に、紙おむつや下着、水などといった日用品から、食器、冷蔵庫、タンスなどが、町内各所から集められています。いわゆる支援物資として、他所から提供された物の他、家屋の解体などに伴って、不要となった家具類も提供を受けています。このテントを訪れれば、誰でも欲しいものを持って帰ることができます。でも、条件があります。週2回の決まった日に、事前に予約をして、テントまで来て、自分で持って帰る、という条件です。被災直後は、避難所各所に物資が集まり、生活圏内で欲しいものを、無料というだけでなく、様々な手間もなく入手可能でした。現在は仮設住宅等に移り、個人個人が自立した生活に移行していく状況にあります。そうした中で、「予約をする」、「車などを手配して自分で行く」という手間を設けることで、「自分で行動する」という、自立へのステップにしてもらいたい、という考えで、こうした運営が行われていました。

くまもと友救の会
テント内の支援物資の様子

2 避難所とコミュニティ

西原村では村役場にお邪魔して、企画商工課でお話を伺いました。西原村は熊本市から見ると東方面、益城町の北東部に位置します。人口は7,000人弱の山間部の村です。2016年4月16日の本震(14日は前震)では、西原村と益城町が「震度7」を観測しています。村内には、小学校が2校、中学校が1校あり、発災後はそれぞれが避難所になりました。今回はその内、山西小学校の避難所のお話を伺いました。

(1)集落単位でスペースを仕切った、避難所運営

私が熊本市に1年前に訪問した頃は、ゴールデンウィークでもありましたが、GW明けには学校を再開しようという時期にあり、避難所では教室で避難生活を送っていた方に、体育館へ移ってもらう作業が行われていた時期でした。山西小学校でも同様に、避難者を体育館へ移動してもらわなければならない、という状況にありました。ところが、既に体育館にはおよそ200名、教室にはおよそ100名の方が生活されていましたが、体育館には250名しか入れません。そこで避難者へアンケート調査を行い、帰宅可能な方の帰宅を促します。その結果、無事250名の定員内に収まる230名まで、避難者を減らすことができたそうです。山西小学校が立地する周辺は被害が小さく、学区内の遠くのほうが被害が大きいという状況があったといいます。そのため、学校近くの被害が小さい地域の方が先に避難所に集まり、離れた地域の方が後から避難所に集まることとなり、教室には被害の大きな方が避難されているという状況があったそうです。

避難所となった体育館には、ステージから体育館入口まで1本縦方向の太い通路と、4ヶ所ある非常口を結ぶ2本の横方向の通路が設けられ(カタカナの「キ」の様な構造)、通路で仕切られたブロック内には、集落ごとに居住エリアを定めて、それぞれが仕切られるように工夫されました。一部はダンボールベッドを入手できたため、高齢者が優先的にダンボールベッドを利用し、トイレ等に出やすいようダンボールベッドを通路側に並べます。通路側にダンボールベッドが並べられることで、それ自体を仕切りとしても機能させていたそうです。集落ごとに居住スペースを設けることで、顔見知り同士安心して生活ができ、避難所内のコミュニティもスムーズに回ったと言います。避難所の運営には、掃除や配膳、洗濯機の使用などに班を編成されていましたが、班の運営を集落ごとに割り振ることが可能であったことが、スムーズな運営につながったといいます。

(2)支援物資の配布

避難所で課題となるのが、支援物資の配布です。山西小学校では、各世帯にどんどん配布していくという方法が取られました。当時支援団体に対して、押し入れに入れるような衣装ケースの提供を依頼し、100個入手します。このケースを避難所の各世帯に配布します。長崎からお米5kg入りが200袋届いたり、佐賀県から海苔が大量に届いたりするたびに、各世帯に配布し、ケースに入れていきます。トイレットペーパーなどの日用品も、避難所で使い切れないものを、どんどん各世帯に配布し、ケースに入れていきます。避難所での生活では使い切れないものの、避難所を出て仮設住宅等に移る際に、このケースをそのまま持って行けるため、仮設住宅等での新しい生活で、支援物資が活きることになります。支援物資はもちろん限りがあるため、避難所で生活している人を優先したそうです。自宅で生活できる人には何もしなかったわけではなく、1ヶ月に合わたって断水が続いたということもあり、水と食事の提供は、地域の全ての人に対して行われました。ちなみに、西原村内にはダムがあり、水源地ではあるものの、断層により水道管が破損してしまったため、水道に復旧に時間を要することになりました。

※西原村の被災概要
2016年4月14日(木)21:26 M6.5 震度6弱
    4月16日(土) 1:25 M7.3 震度7
・被害状況:
 死者8名(関連死3名含む)、負傷者56名(内 重傷者18名)
 家屋・建物被害:全壊513棟(20.8%) 半壊以上1,370棟(55.6%)、発行数2,466棟
(2017.3.31時点)
 解体状況:申請数 1,692棟(86.6%)
      ※解体進捗 1,469棟完了(内訳:公費683棟/自主786棟)(2017.3.31時点)
 仮設住宅:小森仮設団地 全312戸(木造50/プレハブ262)内302戸に296世帯829名が居住
      みなし仮設 村内外に179世帯516名が居住 (2017.3.31時点)

西原村役場
西原村役場でお話を伺う様子

3 企業の挑戦

(1)地獄温泉 清風荘

南阿蘇村の「地獄温泉 清風荘」さんは、地震の被害だけでなく、2次災害である土石流の影響を受けた旅館です。鳥帽子岳という人里離れた山の中に位置し、灰白色のにごったお湯は、200年以上に渡り湯治場として愛されてきた温泉です。4月16日の本震後、明治中期に建てられた本館など、いくつかある建物に歪みが出るなどの被害があったものの、源泉が途絶えること無く、入浴施設も無事で、建物の復旧が進めば、営業再開が可能な状況にあったといいます。ところが6月20日、豪雨が襲います。大規模な土石流が発生し、清風荘の建物を飲み込み、元湯を埋め尽くしてしまいました。そうした中でも、本館自体は土砂が入ったものの建物は無事で、すずめの湯という、入浴施設も無事でした。

1年近く経った今でも、敷地内は土砂が覆っています。それでも、本館内はボランティアの方々の力で土砂が取り除かれています。秘湯とも言えるような、山奥へ向かう道路も、未だ復旧途上ですが、5月8日から8月いっぱい通行止めになりつつも、県道の復旧の目処が立ってきています。また一部建物の公費解体が、9月から年内いっぱいにかけて行われることも決まったとのことです。200年の歴史ある温泉を、次の歴史に繋いでいくために、まずは日帰り入浴を一刻も早く再開できるように取り組みながら、建物を復旧し、宿泊での営業を再開しようと、意欲を燃やされていました。

(※参考:熊本南阿蘇村の「地獄」で見た希望。兄弟たちの奮闘を知ってほしい。8bit news)

地獄温泉清風荘
清風荘でお話を伺う様子

(2)シングルマザー支援

その他にも、シングルマザーの経済的な自立への課題も聞くことができました。そもそも、雇用が少なくなっている中で、子どもを育てながら、安心して働ける環境をどう作っていけるか。特に、震災という大きな影響を心身ともに受けたことや、働きたくても働く機会がなくなっていることなどから、「やる気」を失ってしまうケースが増えてきているといいます。仮設住宅で暮らし、支援物資があることで、生活はできる環境にある。そうしたことが、前向きに何かをやろうという意欲を奪ってしまっているそうです。被災地ではなくても、ひとり親家庭の支援や、シングルマザーの雇用・所得の問題は、大きな課題として取り組みが行われています。被災地熊本においては、一層困難な課題になっているようです。

4 まとめ

今回の訪問で伺った内容を端的にまとめるとすれば、

(1)避難生活におけるコミュニティ形成・活動の重要性
(2)「復興」には地元経済の自立、個人の経済的自立が必要

という、大きく2つの内容になります。この記事にはまとめられていないものの、他にも様々なお話を伺いましたが、異口同音にこの2つについて語られました。1年前に避難所を訪問した際には、「不安」の声を沢山聞きました。発災後間もない時期でしたから、余震も多く発生し、ふとした瞬間に本震の恐怖を思い出すことがある、という話を伺いました。そうした時に、誰も知らない人たちの中で生活するよりも、地域の繋がりが維持された環境で生活できるようにしていく。生活している人たちが支え合える環境を、仮設住宅においても維持できるように、コミュニティ形成を意識して入居を進める。仮設住宅団地内での活動を通じて、少しずつ自立への歩みを支援していく。こうしたことは、発災後急には判断できないでしょうし、事前に意識しておくことが可能ですから、行政等が準備を進めておくことが可能な対応策だと考えます。もちろん、マニュアル通りに進められるとは限りませんが、知恵を出し合って活かさない手はありません。

経済的な自立については、企業や雇用という視点と、個人のモチベーションや、個人を支える環境に関しての指摘がなされました。個人個人を、「支援物資」頼みの生活から少しずつ抜け出せるように支えていく。地域経済が回るように、市内、県内、域内の企業が復興に係る事業をできるだけ受けられるようにしていく。そうする中で、被災者がまた仕事を得られる機会を創出していく。阿蘇においては、地域ブランディングと観光による、経済の創出についても言及がありました。横浜や首都圏での被災は、熊本の状況とは異なるでしょう。被害状況も、経済的な環境も異なります。とは言え、発災直後から経済的復興への道のりがスタートするとも言えます。まずは、市民ひとりひとりの生活を守る。そのためには、最初に食事や住居の問題を解決することがあり、生活の確保はすなわち、自立への道のりを、経済の復興への道のりを、スタートさせるためのものでもあります。

1年前を振り返りながら、今回の熊本訪問となりました。どこが震源地となり、どんな規模で発生するのか、どんな被害が生じるのかは、各自治体において様々な想定が行われていますが、実際には起きてみるまでわかりません。様々な関係団体、関係者が、万が一に備えた、訓練や備蓄、計画づくり等を行ってきています。全てが準備できて、全てが想定内に収まるということは無いでしょう。それでも、近年の震災、被災状況から学び、次の被災に備えていくことは重要です。生命を守り、生活を守るために、今まで経験している他の地域の事例を、当事者や現場から学び、次の震災へ活かせるよう、優先順位とともに対応を想定していく必要があります。

くまもと友救の会
WFPのテント

DSC03707
左側の建物が明治中期からの本館

地獄温泉清風荘
大量の土石流が流れ込んだまま

地獄温泉清風荘
露天風呂の施設も傾いたまま

地獄温泉清風荘
温泉は潤沢に湧き続けている

地獄温泉清風荘
歩き回りながらご説明頂きました

地獄温泉清風荘
清風荘周辺の道路

大観峰
大観峰からの阿蘇五岳

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