5月2日、3日と1泊2日で熊本市を訪れました。今回の目的はボランティアセンターを通じてボランティアに参加すること。そして、都市部での被災について現場の状況を知ること。
5月2日 避難所訪問
初日、飛行機にて熊本空港へ降り、バスにて熊本市内へ。最初に向かった先は、熊本市社会福祉協議会が開設している、ボランティアセンター(熊本市中央区花畑町7−10)。事前にHPで確認していたものの、9時前から始まる受付は、受付人数が上限に達するとHPでなどで示されている受付終了時間を待たずに受付を終了する状況にあり、この日は私が到着した時点で1,000名程度のボランティアを受付て、終了。GW中は、阿蘇市や益城町など周辺の自治体は、県内や市内在住者にボランティア受付を制限していました。熊本市だけはそうした制限をしていなかったため、熊本市の社協にボランティアがある程度集中したと考えられます。
残念ながら初日は災害ボランティアに参加することができなかったので、市内の様子を見に回ることにシフトしました。まず向かったのは、徒歩で行ける範囲にあった熊本市役所。1階には罹災証明書の受付が設けられていて、長い列になっていました。各窓口も既に動いているようで、多くの方が窓口で待っていましたが、大きな混乱があるようには見受けられませんでした。あまり邪魔してはいけないなと思い、隣接する市議会事務局へ。身元を伝えながら挨拶をし、不躾ながら所避難所を教えていただきました。
1カ所目に訪れたのは、A小学校。70名ほどが避難生活を送っていました。特にアポも無く勝手に訪問をしたわけですが、自己紹介をしながら避難所のまとめ役である方からお話を伺いました。まとめ役の方自身も被災し、家は住める状態ではなく、この避難所に滞在されています。A小学校は奇跡の避難所とも呼ばれ、熊本地震での避難所のモデルケースとなっているという場所。近くに商業地区があり、飲食店のオーナーなども当初集まった避難所。商店会長など人的ネットワークが豊富な方が集まったこともあり、発災の翌日からそのネットワークを生かして支援物資が届き始めていたと言います。市役所から物資が届き始めるには4〜5日かかったということですから、その早さがわかります。各避難者のベッドはダンボールで設けられ、仕切られていましたが、このダンボールも自前で手配したといいます。それぞれのダンボールには、色と番号によって区画が整理され、人の出入りなどが分かりやすくされていました。
A小の避難所では、避難者の自立を促すことを意識しているといいます。家に問題がなければ、できるだけ帰宅してもらう。そのために、家の中の片付けも一緒に手伝う。発災から3週間近く経過していた時点でもあるので、バスや鉄道も運行していましたし、コンビニやスーパーだけでなく、多くのお店が営業を開始していました。必要な物は支援物資に頼るのではなく、お金があればできるだけ食事や買物は外で済ませるようにしようと、促していました。強く意識されていたのは、経済が回っていかなければ、本当の復興にはならないということ。支援物資も沢山あり、在庫も抱えていましたが、いつ来るかもしれない3回目の大きな地震にも備えられていました。
私が訪れた時点では、お店だけでなく、会社も再開していたので、日中は避難所にはほとんど人が居ない状況でした。寝泊まりは避難所でしても、日中は仕事に出かけたり、家の片付けに帰ったり、散歩に出かけたりされています。単身の高齢者も多く、1人で家で夜を明かすのが不安で避難所にいる方も。水道やガスが復旧し、家屋の「応急危険度判定」も進み、帰宅出来ている方も増えていますが、ここからは避難所生活が長期化するかどうかの分かれ目に入っていくという段階でした。市役所の職員は毎日避難所に1名配置となっていましたが、毎日違う人が来ることが課題だと感じました。毎日違う人が来ることで、各避難所現場の理解が進まず、避難者との信頼関係も深まらないという状況でした。私が訪れた日の前後から、各避難所に同じ人が担当することになっていったようですが、一番大変な時期に信頼関係を深められなかったのが、課題だと感じます。また学校の対応もまちまちで、学校長の判断に影響されるようでした。A小では炊き出しが続いていましたが、他の学校では炊き出しを中止したところもあるものの、避難者と学校長との話し合いで、継続されることになったようです。校長の理解があってこそ、A小の独自の取り組みが可能になっているということでした。色々と話をしている内に、一晩この避難所に宿泊させてもらいたいと感じるに至り、宿泊させてもらえないかとお願いしたところ快諾いただき、初日の夜は避難所で過ごすことになりました。(※事前に博多でのホテルを予約してから、熊本市に行っています。基本的に避難所にボランティアで行って泊まれるものではないので、ボランティアで行く方は必ず宿泊先をご用意ください。)
2カ所目は、B小学校。自治会長や避難生活をしている方、他都市から派遣されてきている職員の方、熊本市社協を通じてボランティアに入っている方達から、お話を伺いました。B小学校も70名ほど滞在。会長の自宅は無事で生活することも可能ではあるものの、ずっと避難所に滞在しているということ。そうすることで、避難所の状況を把握することができ、避難者との関係も深まって、それぞれの状況もわかり、様々な相談もしやすくなる環境をつくっていらっしゃいました。B小学校では会長だけでなく、若い人達が力を発揮していました。私が訪問した時は、若い避難者が10名くらいの避難者を、車で1時間くらいの温泉に連れて行って帰ってきたところでした。また避難者の中にダンサーの方もいらっしゃるので、避難している方々と一緒にダンスをし、運動不足解消、エコノミー症候群予防につなげていました。ここでも炊き出しがありましたが、率先して行っているのは若い避難者達。以前テレビの取材があったそうですが、会長は自分に取材するのではなく実際に汗をかいている若者を取材してくださいと伝え、実際に若い人が取材され放送されたといいます。またこのニュースを見た友人たちが、手伝いに来てくれるなど影響があったということでした。こうして現場にお邪魔すると、「支援する人」と「される人」が別々にいるのではなく、避難している人同士や、同じく被災した近所の人達で、お互いに支えあっているのがよく分かります。
お昼過ぎに訪問したため、ちょうどランチタイムで、思わず炊き出しのご飯を頂きました。最初はもちろん遠慮したのですが、多めに作ってあるから大丈夫だよと言われ、お言葉に甘えました。避難者の数より多めに用意しているのは、食事だけもらいに来る近隣の人もいるから。B小においても、残っている人は一人暮らしの高齢者が多くなっていて、自立を促していくのがこれからの課題でした。マンションの高層階に住んでいらした方もいて、エレベーターが直るまで帰れないという状況もありました。家がなかなか片付けられないという課題や、余震が続く中一人で家に居られないという方もいらっしゃいます。校庭での車中泊も減ってきていましたが、いまだ夜だけ校庭で車中泊していく方もいらっしゃるそうです。
B小では特に衛生面には注意を払っていて、トイレも水道が復旧するまでは、隣に流れる川の水を汲み上げるなど工夫をしていました。とにかく試して、工夫してみることが大事だと、会長が率先して動いていたようです。ミーティングルームが女性の更衣室、授乳室になっていましたが、当初は避難者が滞在していたと言います。女性のための部屋が必要だと途中で気づき、皆で話し合い、反対する人も無く、女性のための部屋へと転換されたそうです。市役所の動きなどは、A小で伺ったのと同様の話が聞かれました。当初物資の情報が少ないことが問題だったと言います。物資がダブついているところもあれば、足りないところもある。行政に注文をしても、届くまでに4日もかかってしまい、その間に避難者の数も減って、届いたものを返却したこともあるといいます。どこに、何が、どれだけあるのかが分かれば、届けてもらわなくても自分たちで取りに行くこともできる。今時スマートフォンなどICTを活用すれば、いくらでも工夫ができるのではないか、という指摘です。B小でも、若い人たちのネットワークから集まった物資が多いといいます。市の職員の配置状況もA小と同様で、毎日違う人がローテーションで来ていたのが、2日から体制が変わり同じ人が張り付くようになったようだが、本来もっと大変な時期に同じ人が張り付いて、状況を把握すべきだったのではないかと課題が指摘されていました。
3件目はC中学校。既に避難者は14名まで減少しています。隣接する公共施設も避難所になったので、そこの6名と合わせて、20名の方に食事などを提供されている状況でした。1つの特徴として、毎朝7時から運営会議が開かれ、市、学校、避難者で、情報共有が行われていました。ここも他と同様、日中は誰も居なくて、夜になると宿泊のために避難者が戻ってきます。C中では震災で体育館の壁の一部が剥がれ落ちたことによって、体育館は避難所として使われず、校舎の教室が避難所となりました。現時点では14名で3部屋を利用しているということで、ダンボールの仕切りなどは無いものの、比較的個室に近い状況をつくり、女性だけの部屋などが設けられていました。他都市の職員の方がこちらにもいらっしゃいました。23日に着任された時には100名くらいの方が避難されていたものの、24日に水道が復旧したことで、25日には20名ほどに避難者が減少したそうです。この20名は、自宅が「応急危険度判定」で、赤の「危険」や、黄色の「要注意」に指定された方々とのこと。住宅に関する現時点での課題は、罹災証明の発行まで1か月ほど要すること。熊本市では仮設住宅ではなく、民間のアパートなどに住んでもらって、被災者には補助を出す方針で動いています。罹災証明が発行されれば、アパートへの入居時点まで遡って補助がでるものの、実際に罹災証明が発行されるのか心配なため、なかなか証明書の発行前に転居することに、二の足を踏んでいる方が多いということでした。ここの避難所でも、滞在はせずに食事だけをもらいに来る方もいらっしゃるということでしたが、その中には障害者の支援団体の方もいらっしゃいます。障害者の方で、なかなか避難所で生活できない方、集団で生活できない方がいらっしゃるので、そうした方は車中避難などで対応しているケースがあるそうです。重度障害者、精神疾患患者、排泄介護など、課題となっていました。
4件目はD小学校。自治会長に対応していただきました。ピーク時150名くらいだった避難者は、現在30名。当初は体育館だけでは足りず、教室も使用していたといいますが、5月10日からの学校再開を控え、全ての避難者が体育館へ移動しています。避難者に一人暮らしの高齢者というケースは多くないそうで、福岡などで暮らす子どもの世帯に身を寄せた方が多いと言います。エリア的に高層マンションが多い地区で、高層階は揺れが大きかったため、不安で自宅マンションに戻れない方も多いようでした。また生活保護受給世帯で、金銭的に厳しいために避難所を出られないというケースもあるそうです。避難所の入り口には手作りのマップが描かれていて、どこに何があるかが分かりやすくされていました。炊き出しは行われていおらず、カップラーメンやインスタント食品などが提供されていました。2日の夜は熊本のプロバスケットボールチーム「熊本ヴォルターズ」からお弁当の提供を受ける予定となっていました。C中学校と、D小学校では、政令指定都市市長会からの要請で派遣された横浜市立大学のスタッフが、避難所の調査を行っていました。
避難所の訪問を終えて、夜は再度A小へ宿泊のために戻りました。避難者の方と同じ生活を体験したほうが良いというお言葉も頂き、炊き出しを頂いたり、お話をしたりと過ごしました。夜お会いしてお話を伺ったのは、A小学校のボランティアチームを呼びかけた主要メンバーのお一人。熊本市在住ではないものの、発災時A小学校の近くにいた事と、近くの商店会長とも友人で、早急に対応が必要として、チームを形成されます。そうしたチームの力により、上述のようにそれぞれのネットワークを活かして、物資の調達などがスムーズに行われていきました。発災直後の避難所には飲食店オーナーが多く集まっていたこともあり、炊き出しは料理のプロ達が、避難者がまるで自分のお店のお客さんかのように、丁寧に美味しい他では考えられないような内容だったと言います。ここの避難所で貫かれているのは、みんなが明るく楽しく過ごせるようにすること。料理だけでなく、カラオケ大会や音楽の演奏会など、様々なイベントも開催されています。私も何人かお話させて頂きましたが、皆さん被災の辛い思い出があるにも関わらず、楽しく昔の思い出話をしてくださったり、熊本の話を教えてくれたりと、楽しそうに接してくださいました。以前某メディアが取材に入った時には、避難者の方があまりにも楽しそうにしていたため、「悲しい顔をしてください」と記者から注文が入り、現場では大顰蹙をかった事があったそうです。
もう1つ重要な点が、リーダーの方々がビジョンを持って取り組んでいること。自立支援、復興支援を「実行する」と決め、そのためにどうするかを、特に経済面での自立がなければ復興はないと考えて、取組んでいらっしゃいました。忘れていけないのは、中心的に関わっている方々自身も被災者であり、仕事を失ったりしている点。震災によって大型の契約を失ったという話も伺いましたが、それでも逆境をチャンスに、困難を価値に変えて、いかにこれからビジネスを立て直すかというビジョンについても、教えていただきました。周辺のボランティアチームとの連携も密に行われていて、5日おきにボランティアリーダー会議が開催され、県外からもリーダーが集まり、情報共有が行われています。こうしたネットワークによって、人、モノ、情報の共有が促進され、独自の取り組みが、奇跡の避難所が実現しています。
ご厚意で、空いている段ボールベッドにて1晩泊まらせて頂きました。日中は仕事や自宅の片付けで、避難所にはほとんど人が居なくなりますが、夜になると皆さん戻ってこられて、それぞれの時間を過ごしていきます。炊き出しは、豚汁に、おにぎり、パン、プチトマト、お新香。おにぎりやパンは大量に支給されていて、賞味期限も短いため「食べれるときに食べておいた方が良いよ」と、2個ずつ頂きました。東京から支援物資を持ってこられた方々がいらっしゃって、校内放送の案内によって、校庭での配布が伝えられ、石鹸や食料など、欲しい人がもらうという形で対応が行われていました。校庭には多少自動車がありましたが、車中泊は大分減ってきているという状況。校庭には夜通し照明が点いていましたが、これは避難所によって対応が異なるということで、消すところもあるそうです。体育館の消灯時間は22時で、22時までは館内でも話したりできますが、22時を過ぎて話したりしたいときは、体育館の外の炊き出しスペースあたりで交流を持つことになります。「消灯時間」と言っても、朝まで館内の照明は点けたまま。これは、万が一大きな余震が就寝中に発生しても、すぐに校庭に逃げ出せるよう、避難路の確保のために明るくされていました。私も22時頃まで、避難所の方と、ボランティアでマッサージに来ている方とお話をして、就寝。段ボールベッドは、マット1枚分の広さ。ダンボールを箱にした上にマットを敷いているタイプで、断熱性や健康面にも優れ、片側は仕切られていて、プライベート空間を守れつつ、何かあってもすぐ飛び出せる仕様です。明るい中なので、アイマスクをしている方が多くいらっしゃいました。1日過ごしていると何度か余震を体験しましたが、朝6時頃に震度3の揺れがあり私も目を覚ましました。まだまだ震度4の余震なども続いているので、不安な気持ちが続くのもよく分かります。朝7時になると、校庭でラジオ体操。この日は子ども達が学校の行事で発表する予定のダンスも、子ども達のふりを見ながら皆で踊りました。こうした体操を行うのも、エコノミー症候群予防という側面もあります。朝食を一緒に頂いた後、避難所の皆さんに感謝をして、ボランティアセンターに出発。この日は雨の予報。
段ボールベッド。この上に、日本赤十字社などから提供される毛布を敷きます。
5月3日 熊本市社会福祉協議会ボランティアセンター
この日は、ボランティアセンターで仕事を得ることができ、資材チームへ配属に。資材チームの主な仕事は、各現場に出て行くボランティアチーム毎に必要となる、土嚢、ゴミ袋、ホウキ、ちり取り、手袋、雑巾、バケツ等々を、注文に応じて渡す仕事。この仕事も、ボランティアチームのオリエンテーションが終わり、準備ができ、各地へ出動すると一旦落ち着きます。この間にどんどん雨が強くなっていきました。雨が強くなると、テントの中で地べたに置かれた資材、特にダンボールに入った物資が被害を受けることが予想されました。そこからは緑色の樹脂製フェンスを転用して、資材の下にフェンスを敷き、直接水に触れないようにする作業へ。
こういった作業を効率的に進め、指揮をとっていたのは、遠方から来たボランティアの方々。資材チームとしては、地元大学生がリーダーとして配置され、全体を見ながら動いている一方で、20代〜40代で、災害ボランティア経験の豊富な方々も全国から集まってきていて、チームとしてどう対応するか、適切に指示が出され、初参加の人も滞り無く作業に参加することができる状況になっていました。長期的に関われる地元のボランティアの方と、経験豊富ながら短期の市外ボランティアの方とが、お互いに支え合っている印象。この間、大雨、強風。その後テントの中で、ホウキやスコップ、バケツなど、現場で使う道具に「熊本市社協」と名前を入れる作業に。諸々作業が終わって14時過ぎ頃にはようやく雨が上がり、そこからは会場の水はけ作業へ。15時30分頃から、各地からボランティアチームが戻ってくる予定なので、それまでに会場の水を少しでも減らして、安全に、心地よく帰ってきてもらおうという配慮です。私は帰りの飛行機の時間が迫ってきていたため、15時頃に作業終了。ほんの数時間とは言え、同じ気持で集まり、同じ時間を、同じ作業をした仲間は、なんとも言えない連帯感を生みます。バタバタと皆さんに挨拶しつつ、バスに乗り空港へ。空港では私の便は順調でしたが、日中の強風時に着陸予定だった便は4〜5時間遅れという状況でした。
まとめ:感じたこと、考えたこと
横浜市と熊本市の大きな違いの1つが、避難所の運営方法。横浜市では、地域防災拠点には地域防災拠点運営委員会が設置され、震災時の活動が想定され、マニュアルの作成や、訓練などが行われています。一方熊本市の避難所にはそうした組織はなく、避難所毎に対応が異なっていました。自治会長が中心的に動いている所もありましたが、自治会長の関わり方はそれぞれ違いました。ボランティアチームが主導しているところもあり、物資の確保や、ベッドの確保状況なども、それぞれ異なっているという状況。市の職員の方から伺った印象的な話は、「防災計画に震災について書かれているが、まさか本当にこんな地震が発生するとは思わなかった」という話。市民の方々からも「まさか」という声を何度も聞きました。こうして各避難所の対応が異なりながらも、その差異を生んでいたのは、強いリーダーシップと、ソーシャル・キャピタルの存在だと感じました。ビジョンをもち、対応を練り、協力者を全国から集め、必要な物資などを集めてくる。復興とは何なのかを考え、その道筋を描き、実行していく。方法や量は異なれども、事前に構築された組織、マニュアルがない中で「まさか」が発生し、被災した方同士で自立のために考え、行動していく。そうした状況が、避難所にありました。
避難所から聞かれた行政の問題は、市職員が1名いるものの、日替わりで毎日違う職員が来ること。現場のことを理解したり、そこで生活する人と関係性を深めることができずに、回っていくだけ。本当に必要な支援には結びつかないことに、住民の方の憤りに似た意見を伺いました。体制が無かったり、非常事態で人手を割くのが困難だったということもあると思いますが、こうした現場と市役所、市職員との関わり方は非常に重要な要素だと考えます。また、初動での物資の流通をどうしていくかも課題でした。横浜市においても、最低3日間の水・食料の備蓄を市民にお願いしてきています。今回の熊本でも徐々に物資が入るようになりましたが、流通の課題も明らかになりました。全国から届く物資をどこに集め、どうやって仕分け、どうやって配送するのか。避難所の現場からは、熊本市に必要量を伝えても、到着まで4日間もかかり、本当に必要なときに必要なものが届かなかったことが指摘されています。
また、避難所を統合することと、避難所で生活する人とをどう考えていくかも課題です。学校を再開して、体育館を使えるようにしたいということや、冷暖房完備でより良い環境で生活してもらいたいという側面がある一方では、慣れ親しんだ環境を離れること、自宅から遠くなること、顔の見える関係が失われることなどを、自立との間で考え、理解していかなくてはなりません。安心して、自立していける環境づくりが重要だと考えます。それを行うのには市が良いのか、何らかの民間セクターが良いのか、そうした視点も必要になると考えます。
長期化する避難所生活においては、心のケアと金銭面、住居面での支援が重要です。いつ終わるか分からない、毎日続く余震に不安になる気持ち。お風呂に入った際に、揺れる水面をみて震災の揺れがフラッシュバックする気持ち。一人暮らしの中で、家では夜を明かせない気持ち。こうした不安のケアができれば、自宅の戻りやすくなる人もいらっしゃいます。訪問した避難所では、カラオケ大会などの「楽しみ」が提供されていましたが、避難所においても心の余裕をつくりだすための、遊びや楽しみが必要です。また罹災証明の発行をいかに効率的にできるかも、重要な点です。5月4日には、国が罹災証明発行の支援を行うことが表明されました。適切な支援だと思います。5月5日時点で熊本県全体では、建物の全半壊棟数が約3万1千棟に上っています。これは想定の4倍近いという状況です。横浜市の想定では元禄型の場合、強い揺れによる建物の全半壊棟数は約13万7千棟と想定されています。首都圏全体での迅速な対応が求められることになると考えます。
ボランティアの受付体制も、難しいテーマだと感じました。今回は発災から大型連休が近かったことにより、大量のボランティアが流入することが予想され、熊本市以外の社会福祉協議会では、県外からのボランティアを受け付けないことで、供給過多の状況にならないようコントロールしていました。また宿泊先や食事の準備なく訪れ、当然のようにそれを求めるボランティアの存在についても指摘がありました。一方では、一定の量で受付が制限されることで、全国から集ったボランティアが途方に暮れるという状況もあります。この需給ギャップをどう埋めるのか。首都圏で発災すれば、アクセスの良さや、マスメディアやソーシャルメディアでの発信量も多くなることから、大量のボランティアが集まることも予想されます。横浜市の防災計画においては、市と区に設けられる災害ボランティアセンターや、社会福祉協議会、横浜災害ボランティアネットワーク会議との協力などについて記されています。熊本市とは規模が異なるものの、都市部での災害におけるボランティアの受付体制と、実際の運用現場からは、学ぶことが多いのではないかと思います。
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