2013年12月11日、みんなの党の離党届を提出致しました。
2011年4月の横浜市会議員選挙では、みんなの党公認候補として当選させて頂きました。公認を頂いてからで言えば、3年と少しが経過しました。これまで、みんなの党を通じて応援し、期待してくださった皆様には、今回離党に至ったことに対しまして、謝罪申し上げます。また、これまで応援し、支えてくださったことに、感謝申し上げます。
離党の理由を端的に言えば、結党の原点を失ったことにあります。
最終的に私が決断に至ったのは、特定秘密保護法案への賛成でした。法案の趣旨自体には賛同できますが、法案の中身に問題がありました。国民主権の憲法に基づき、国権の最高機関と位置づけられた国会において、行政の裁量によって国民の権利が制限されてしまう法案を、みんなの党が賛成したことは、私の考え、信条に反します。また、官僚主導の政治を改めようと、脱官僚を訴えて来たみんなの党が、その結党の原点を失ったと言わざるを得ません。
そしてもう1つは、党の運営です。様々な報道でも、みんなの党の運営の問題が明らかになりましたが、神奈川県下の地方議員にとっては、2013年4月から起きた、神奈川県選挙区の参議院議員候補者選定のプロセスが、それにあたります。県下の地方議員が集められた総会において、全ての議員の意見を聞き、党三役で下された結論が、一部の地方議員が集めた嘆願書で容易に覆ってしまう。この不明瞭な意思決定は、党のガバナンスの欠如であり、みんなの党の良さであった開かれた議論を失うものでした。
またみんなの党はそれまで、「誰がやるかではなく、何をやるか」のアジェンダ(政策)の党だと言われてきました。しかしながらこの候補者選定では、主に2名の名前が挙がりましたが、一方はみんなの党の公認を得て政策が一致しているものの、もう一方は公認を得ていない「何をやるか」の確認を取れていない方でした。この時点でみんなの党は政策重視ではない、「誰がやるか」、「誰と組むか」の政党になってしまったのだと思います。
私は2009年8月8日のみんなの党結党に関わった1人でもあります。全国各地には、みんなの党を応援したり、政治塾に入ったり、議員になったりしながら、みんなの党の政策を支持し、訴えてきた沢山の方がいらっしゃいますが、私もそういった皆さんと同じように、みんなの党を支持し、参加して来た1人です。結党前夜からこれまで、陰日向になって支えて来た沢山の方々が党を離れて行ったこと、そして私自身今回離党に至ったことは、悔しくもあります。
党は離れますが今後も、「行政主導から民間主導」、「地域主権」、「自由な経済活動」、「増税より成長」といった基本理念を共有できる仲間とともに、活動を続けて参ります。
何より、私は横浜市会議員という仕事を与えて頂いています。これからも、情報化社会における開かれた横浜市政の推進や、住民参加による政策形成プロセスの実現と、更なる住民自治の実現などを軸に、これまで訴え、取組んできた政策を実現できるよう、活動を続けて参ります。
今後も皆様からのご理解とご支援、そして叱咤激励賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
2013年12月12日
横浜市会議員 藤崎浩太郎
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貴兄は、みんなの党を離党したのではなく渡邊に引導を渡したんでしょ!!!
貴兄や江田さんは、よしみの「自民党性」に飽き飽きしての事だと思います。
渡邊よしみを江田さんが救ってあげたのに、やはり自民世襲はこんなものでしょう。