能登半島地震、志賀町での災害ボランティア報告。災害対応のデジタル化。

2024-01-28 15:36:08 | カテゴリ:活動報告


藤崎浩太郎

2024年1月27日、令和6年能登半島地震の災害ボランティアで、志賀町を訪れ作業を行いました。以下、ボランティアに関するレポートと、私の感じたこと、考えたことなどをまとめています。

ボランティア登録と申し込み

能登半島地震の発生は2024年1月1日でした。石川県のボランティア募集のWebサイトでは、ボランティア募集開始に先だって、ボランティア事前登録フォームが設けられました。登録をすると、随時募集についての案内メールが送られてきました。

具体的にボランティア募集開始のメールが届いたのは、1月23日。そのメールでは、1月24日正午から活動予約の受付を始めることが案内されました。先着順との説明や、七尾市、志賀町、穴水町が活動地域になること、活動内容は災害ごみの片付け、運搬などであること、必要な持ち物、集合・解散時間などが明示され、申し込みの段階でかなりイメージしやすくなっていました。重要なポイントとしては、申し込み方法がWebでの事前登録であることで、メールにはGoogleフォームのURLが記載されていました。

Web申し込みは優れた方法

以前私は熊本地震のボランティアに行きました。その際は、ボランティアセンターに直接行って受付を行うという方法でした。私が熊本市のボランティアセンターに行った日は、1,000名程度という受け入れの上限があり、残念ながら私は間に合いませんでしたし、他にも同じ状況の方が居ました。災害ボランティアは全国から集まります。今日も、群馬や東京など石川県民ではない方がボランティアに参加されていました。こういう離れた地域から参加する方が、事前に、確実に受付される仕組みは、効率的で志願者としても助かります。

24日正午に早速、1月27日の活動希望で申し込みを行いました。Webのフォームでは希望の行き先も選べますが、私はどこでも良いという選択肢にしました。参加決定通知は、活動日の前々日の18時までに送付されるということで、一旦返事待ちの状態になります。そして前々日にあたる、1月25日17:34に参加決定通知が届きました。6時10分に金沢駅西口集合で、志賀町にて災害ごみ搬出の補助などを行うことが示されました。

前日に金沢へ

当日は6時10分に金沢駅西口集合、となると前日に金沢に入らないことには横浜からは間に合いません。決定通知が届くまでは、宿も交通手段も手配できないので、速やかにホテルと行きの新幹線のチケットを予約し、防寒具など必要な持ち物を準備し始めました。活動日の前日である1月26日、22時過ぎに金沢駅近くのホテルに到着しました。ホテルの駐車場には、日本赤十字社の車両が何台も停まっていました(写真1)。フロントで確認すると、赤十字のスタッフの方が宿泊しているとのことで、22時過ぎという時間でしたが、ロビーの一角でパソコンと向き合い何か仕事をしている、赤十字の方がいらっしゃいました。

石川県災害ボランティア第一陣出発

活動日当日の1月27日早朝、集合時間より少し早く金沢駅西口の集合場所に行くと、すでに沢山のボランティアの方が集まってきていました。行き先に応じてバスが複数用意され、石川県職員の方の誘導のもと、志賀町行きのバスに乗車しました。北日本観光のバスでの移動となりましたが、バス協会との災害協定に基づき、費用は後払いの形で運行されています。(写真2、3)

バスが出発すると1日の流れが説明され、今日が災害ボランティアの初日で、第一陣であるため、一旦石川県庁に寄って出発式を行うことが伝えられました。県庁に到着すると、沢山のメディアが集まっていました。出発式はシンプルに馳浩石川県知事の挨拶のみによって行われ、終了後すぐに再度バスに乗車し、いよいよ志賀町へ向かいます。(写真4)

車中ではQRコードを書いたA4のラミネートされた紙が回覧されました。QRコードをスマホで読み込むと、今回のボランティアの登録フォームが表示され(KintoneのURL)、名前、住所、電話番号、ボランティア保険の登録の有無、を記入します。ボランティア保険に入っていなくても、石川県が手続きを行うため、仮に当日怪我をしても保険が適用されると説明がありました。

道中は高速道路で移動しました。渋滞もなくスムーズな移動となりましたが、途中の柳田出口手前では、「この先災害車両優先」と表示した警察車両が、交通の整理を行っていました。被災現場を直接見る機会はあまりありませんでしたが、志賀町の家屋の瓦屋根には、ブルーシートが目立ちました。

志賀町災害ゴミ置き場

私たちのグループは、30名ほど。到着した作業現場は、富来野球場の駐車場に設置された、志賀町災害ゴミ置き場。災害廃棄物の仮置き場です。他のグループは、被災した個人宅で家財道具の撤去を行っていて、志賀町各所で撤去された廃棄物が集まってくるのが、富来野球場です。市町の災害ゴミ置き場は、基本は市町の管理ですが、志賀町は社会福祉協議会にゴミ置き場の協力を要請し、社会福祉協議会が石川県に協力要請を行ったため、現時点で志賀町災害ゴミ置き場は、石川県災害対策ボランティア本部によって運営がなされていました。(写真5)

ゴミ置き場には、可燃粗大ごみ、畳・布団・じゅうたん、木くず・角材・柱材・板材、小型家電、ガラス・陶磁器、コンクリート、壁材スレート、瓦、と廃棄物の分別エリアが区分けされています。現場到着後は、それぞれのエリアに5~6名に分かれるよう指示がなされつつ、作業の多いエリアに手伝いに行くことが指示されました。この時点では、ボランティアメンバーは何をどうするのかほとんど理解できていないうえに、みんな初対面なため、戸惑いながらそれぞれ配置につきました。私は、なんとなくガラス・陶磁器のエリアへ。

災害ゴミ置き場の開設時間は、9時から16時となっていて、9時を過ぎると続々と廃棄物を乗せた車がやってきました。車は、ほとんどが軽トラックか自家用車で、なかには小学生くらいの子どもが同乗しているケースもありました。様々なご家庭、状況での被災が伺い知れます。

具体的な作業の様子

ゴミ置き場は、昨日、一昨日も運営されていて、地元の協力団体やシ地元のルバー人材センターの方々で2日間運用がなされてきました。400台くらい車が来て、長い列が出来て大変だったというお話を聞きました。今日も出だしはゆっくりでしたが、昼に近づくにつれて搬入車がどんどん増えてきました。昼御飯の時間帯に一時的に落ち着き、その後また増えるという感じでした。今回ボランティアスタッフが入ったことで、搬入待ちの車両の列はそれほど伸びることがなかったので、順調に作業を進められていたと思います。

搬入車両によって、木材関係ばかり積んでいる車、瓦ばかり積んでいる車、ということもあったり、ガラスも、木材も、小型家電も、一台に色々積んであるという車もあったりでした。車の列は管理され、順番で待っている車が会場に入る際は、管理者から拡声器で何を積んだ車かがアナウンスされ、それぞれのエリアに車両を誘導し、ボランティアスタッフが荷物を下ろす、という作業の流れです。ガラス・陶磁器エリアには、食器類や窓ガラスの荷下ろし・分別だけでなく、扉に組み込まれているガラスの除去や化粧台のガラスの除去など、ガラスを外す作業がありました。隣接するコンクリートや壁材、瓦は、持ち込まれる頻度が少なかったため、だんだんと担当者が他のエリアに移動し、荷物が運ばれてきた時のみ、みんなが集まってくるという行動に変化していきました。(写真6〜14)

最初は戸惑いながら始まったボランティアメンバーでしたが、要領を掴むと、エリアや役割がかなり柔軟に移り変わり、助け合い、無言のサポートが生まれていきました。複数種類の荷物を積んだ車の場合、最初は車に人が集まっていましたが、徐々に荷物を下ろす毎に車を動かすようにボランティアスタッフが誘導するようになり、複数の小さなリーダーシップが生じていった感じがありました。

それぞれのエリアの廃棄物が山のように積まれると、シャベルカーなどの重機がコンテナに積む込み、アームロール車が運び出していき、空のコンテナが新たに置かれます。手分けして車から荷物を下ろし、山のように積み、重機で片付ける、という作業が、開設時間のあいだずっと繰り返されます。

作業開始前の説明の際も、作業の途中でも、「交代で休憩を取ってください」と、県の職員の方から案内がなされました。しかしながら、初対面の即席チームで、担当エリア毎に明示されたリーダーや、交代で休憩を取るための仕組みみたいなものが無いため、なかなか休憩を取ることがうまくいきません。私も、トイレと、10分程度の食事休憩以外はずっと作業をしていました。遠くから来ている人も多く、一日だけのボランティアという方もいらっしゃるので、「少しでも役に立ちたい」という想いのなかで、6時間フルで作業したいという気持ちになります。私もそうでした。休憩をいかに取れるようにするかは、課題だなと思います。下手をすると体調を崩す人が出てしまいかねません。可能であれば、ビブスの色分けを行い「青の人休憩入ってください」、というようなやり方が取れると良いかもしれません。

私たちの作業は15時までとなっていたので、14時50分頃になると、ボランティア終了の声がかけられて、全員集まったところで終了の挨拶。すぐにバスに乗車して、金沢駅に向かいました。17時頃、出発した金沢駅西口に帰着して解散。横浜への帰路につきました。

所感

災害対応のデジタル化、というと大げさな感じもしますが、ボランティアの受付がオンラインで行われる事前登録制になっていることは、とても便利でした。私が参加した1月27日が、ボランティア受け入れの初日というなか、集合場所や進行に問題が生じることもありませんでした。初日のボランティアは、七尾市、穴水町、志賀町の3市町で75名ということでしたのであまり多くありませんが、事前登録者の数は1月25日時点で約14,500人との報道もあり、これだけのボランティア希望者が、仮に75名の受け入れ枠ののために当日に現地での申込方法を取っていたら、大混乱が生じていたかもしれません。バスの中での登録作業も、紙で行えば人数分の紙と筆記用具が必要ですし、集計作業も必要となってしまいます。災害の状況にもよりますが、インターネットが使える環境にある場合を想定し、オンラインでのボランティア受付体制を確立しておくことは重要だと考えます。

志賀町は、1月27日時点では水道の復旧が進まず、断水が続いている状況にありました。また珠洲市や輪島市など被害が大きいのに、アクセスなどの様々な課題からボランティアの受け入れ態勢が整っていないという地域もあります。そうした混乱が続く中で、初日の第一陣の受け入れを一つのテストとして捉えて受け入れているような話もあり、受け入れ側の体制整備において合理的な進め方だと感じました。災害ボランティアを、何度も、頻繁に受け入れるということは、あまり起こることではないでしょうから、経験が無いなかで円滑に受け入れ態勢を構築するには、小さく始めるということは参考になります。現地での私の感想において「課題」という表現を使いましたが、これは現地の当局や職員を批判する意味ではなく、そうしたテストの中で捉えられる課題であり、テストが成功しているということであると捉えています。

横浜市で大地震が生じた時に、ボランティアの方の受け入れ体制や輸送方法、想定されるあらゆる現場における人の配置と動線や指示の方法が、どうなるのかは改めて考える必要があると感じました。ボランティアの申込の際に、「どこでも」という選択肢があるのと無いのとでは大きく異なります。現地まで行って登録する場合だと、仮にどこでも良いから人手の足りないところにボランティアに行きたいと考えていても、知っている場所にしか行きようがありません。しかし、オンラインで申し込んで、事前に行き先が指示されれば、本当に必要としているところにボランティアに行くという選択肢が生まれます。今回のゴミ置き場におけるエリアの設定の仕方、職員の役割の設定、ボランティアの必要人数なども、1つの前例として学べることが多いと思います。

能登半島地震

写真1 ホテルに停車する日本赤十字社の車両

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写真2 ボランティアスタッフが乗車するバス

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写真3 ボランティアスタッフが乗車する様子

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写真4 出発式の様子

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写真5 富来野球場に到着し説明を受ける様子

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写真6 廃棄物が積まれた車両から荷物を下ろす様子

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写真7 ガラスや陶磁器を重機でコンテナに入れる様子

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写真8 瓦のエリアで荷物を下ろす様子

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写真9 壁材スレートエリアの様子

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写真10 コンクリートエリアでブロック塀を下ろす様子

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写真11 コンクリートエリアの様子

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写真12 小型家電、金属くずエリアの様子

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写真13 畳・布団・じゅうたんエリアの様子

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写真14 搬入に訪れる車両の列

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写真15 断水が続いているためトイレは仮設で、男女2ヶ所ずつ設置されていました。

能登半島地震

写真16 道路にはヒビが入り、家屋の屋根はブルーシート

Comments 2

  1. 小池 より:

    貴重な報告ありがとうございました。災害ボランティア連絡会で生かしたいです。現在kintonの使い方など訓練中です

    • 藤崎浩太郎 より:

      小池さん、コメントありがとうございます。私の経験が、青葉区、地域の何か役に立てば幸いです。

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